本当の追田のひとり言

特に書くことはないのですが,なんとなく書きます。

興味がないと思いますが,私の野球経歴について書きます。

私は,子供の時から野球好きの父親に連れられて,父親がやってた野球チームの試合を見に行ってたようでした。それから,ずっと野球好きで,小さい頃は巨人ファン,大学生になってからしばらくしてからずっとダイエーホークスファンです。

小学1年生のクリスマスにサンタクロースから赤いグローブをもらい,それからは野球小僧です。小学2年生の時は,3年生の先輩の人たちのクラス対抗の野球の試合になぜか助っ人(というより人数合わせ)によばれて野球していた記憶があります。
小学2年生の冬に,和歌山県海南市立内海小学校の野球クラブに入りました。3年生の時に4年生のクラスでレフトを守っていたのですが,強いチームとやったときにレフトフライがほとんどとれず,それからは補欠になったと思います。相手チームには,高校生になって甲子園に出た選手もいました。

小学4年生からは和歌山県立大野小学校に転向し,すぐに野球部に入りました。キャッチャー,サード,センター,ファーストなどを転々として,最後には,これからずっとお世話になるセカンドを守りました。その頃から野球にはせこく,下手なトリックプレーとかするのを趣味にしておりました。バッティングはそのころからダメでしたが,バンドは上手かったと自分でも思ってます。その頃からずっと欠点だったのですが,力が無く,足が遅かったです。
小学生の頃の一番の思い出は,市民総合体育大会の決勝戦の最終回表に,決勝スクイズを決めたことです。

中学に入ると,力の無さ,足の遅さが私を3年間補欠にしました。まぁ,そのころのメンバーはすごくて,後に高校で和歌山県大会で優勝(春の選抜高校野球の近畿の補欠校)したチームに数人レギュラーとして入るような人たちがいました。中学の時は県大会で3位に入る強豪チームだったので,万年補欠も仕方が無かったのでしょう。ちなみに,ランナーコーチとしては,先生方から信頼されていたのが,唯一の自慢です。補欠だったので,ほとんど打席に立ったことがありませんが,ほとんど三振だったと思います。覚えているのは,相手投手が元箕島高校野球部監督尾藤さんの息子で三球三振をくらったことです。たしかそのチームの監督は,前西武ライオンズ監督東尾さんの兄だったと記憶しています。

高校に入ると,そのレベルの違いからあっさりと硬式野球(上述したように,3年生の春の選抜大会で近畿の補欠校になったほど,私の同級生たちは強かったと思います。)をあきらめ,軟式野球部に入りました。和歌山県立海南高校でのことです。海南高校軟式野球部は,当時一つ年下の学年がキャプテンをやることになっていて,1年生の12月にキャプテンを任命されました。ただ,何ゆえか,結局3年生の最後の大会までキャプテンをすることになりました。おそらく,同野球部で一番キャプテン経験が長い人間だと思います。現在のシステムはどうなっているか分かりませんが,今も最上級生がキャプテンをやっているようになっていれば,私が歴史を変えた人物だと言えます。
高校時は,2年生でセカンドのレギュラー+控え投手で,最上級生になると投手になりました。当初は2番で投手という,あまりいないタイプでしたが,打率が下がり,最後は9番投手になりました。当時は,スローボールでカウントを取り,パームボールと速球で打ち取る,という軟式野球でなければ成り立たないようなピッチングスタイルでした。自慢は,2年生の時に,リリーフで登板した試合で勝った相手が,前年全国大会優勝,その年全国大会第3位の新宮高校だということでした。また最上級生の最初の大会で,組み合わせにも恵まれて,紀南(和歌山県内の南半分)大会準優勝,県大会第3位にも輝きました。

大学に入ると,ソフトボール同好会に入り,2年間だけ,ちんたらソフトボールをやってました。ただ,高校までに父親が作ったソフトボールチームにも所属してた経験から,けっこうソフトボールもやれる人間だと思ってます。大学には1年間に主要な3つの大会があったのですが,卒業するまでにこれらすべての大会を制覇したのが少しだけ自慢です。

会社に入ると,建コン協野球大会,ソフトボール大会,水コン協野球大会などいろいろ参加しましたが,最高で野球はベスト16,ソフトはベスト8(2回)とまりです。投手として一番調子が良かった年に,たまたま研修と重なり,出場できず,結局ベスト16で止まったのが悔やまれます。あと,昨年大阪北リーグというスポーツ屋さんが主催している大会で160チーム程度の参加の中,ベスト16に入ったのも自慢です。もちろん,組み合わせに恵まれての話しです。

ここ3年ぐらいは,肩痛に悩まされ,満足にピッチングができませんが,なんとなく細々と野球してます。今年も,何試合かは投げたいと思います。一昨年は中央復建を,昨年は日本工営を狙い撃ちして勝たせてもらいました。そろそろしぼりたてに勝ちたいと思ってますが,3年前の初対戦のときは,3-3で引き分けだったので,追田もやるな,と思っていたのですが,昨年は7回途中で確か13失点だったと思います。その雪辱を晴らすために,今年は,しぼりたて戦に再び登板して,勝ちたいと思ってます。

たくさん書きすぎました。このへんで。
今度は,何を書こうかな・・・。ところで,みなさん読んでくれているのか,ちょっとだけ心配になりました。何か載せてみたい記事等があれば,追田までメール等で送ってください。おもしろいのがあれば,紹介します。
以上。

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